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■助川ダンス教室の歴史

1947年に故助川五郎により、西五反田に日比谷ダンス学園として産声を上げる。
1952年に東五反田に移転し助川ダンス教室と屋号を変更、1967年には株式会社になる。ダンスの殿堂として5階建てのビルを建設。
助川五郎門下生として、毛塚睦雄(故人)、毛塚鉄雄、桜田哲也がおり、教室からは三枡良一、枡岡肇、毛塚道雄、本田季久など多くの全日本チャンピオンを輩出した。
1970年助川五郎死去にともない助川邦子が社長に就任。現在は助川友朗へと引き継がれている。
1995年にはクレアダンスクラブ(本部ドイツ)に加盟、日本本部となる。
助川ダンス教室は、海外とのつながりも多く、プロの世界チャンピオンだけではなく、多数の有名外国人コーチが日本でのレッスンスペースとして当教室のフロアーを選んでいる。

助川 五朗

1911年北海道で生まれる。
1934年、立教大学在学中に高田馬場にダンス教室を開設、ダンス禁止令が出る1940年まで続く。
1946年に日本社交舞踏教師協会設立に参画、同時に日本全国にいる助川門下生のための技術団体であるダンシング・ブラザーズ(D. B)を旗揚げ、人材の育成、ダンス界の発展に情熱の限りを傾けた。全日本戦初代チャンピオン、毛塚睦男、三枡良一をはじめ、東利栄、若林正雄、枡岡肇など、彼を慕って集まってきた選手は枚挙に暇がない。
1955年、周りの反対を押し切り、英国から当時、世界で最も有名な指導者の一人であったスクリブナー組を招聘。資金の手立て、会場の確保など、持ち前のねばり腰と実行力で難題を突破していった。スクリブナー招聘は日本のダンスに世界への扉を開かせた。
1962年には豪州メルボルンで開催された世界選手権の日本人代表団に初の日本人審査員として参加する。世界ダンス界の要人としっかり親交を結んできた後、世界選手権の日本開催を夢見、その会場は「日本武道館」しかないと考え、当時難攻不落と思われた日本武道館を落とす。
1969年に、助川が大会委員長となり、世界27カ国が参加した世界選手権を日本武道館にて開催した。大会総裁には、以前から助川ダンス教室に習いにいらしていた関係で、三笠宮崇仁親王殿下にご就任いただいた。
世界選手権大成功の後、翌1970年6月29日、僅か2ヶ月の闘病で逝った。
比類なき情熱をダンス界の発展に人生を注いだ男だった。